許多老貓們口水又要流了?
1970年代的天文與氣象雜誌封底(天文月刊前身 地人書館出版)的五藤8公分光學研究所廣告…當時舊型A type新改裝type為P. 1973年預售價為130,000日幣,1980年售價上漲為210,000日幣。日本光學 Nikon 8公分赤道儀(三腳架type)為265,000日幣。
6.5cm赤道儀は1973年(昭和48年)に設計変更を行ったが、このときには初めて工業デザイナーを起用して設計を行った。また架台の材質を鋳鉄からアルミ鋳物に変更した。
8cm赤道儀は1974年(昭和49年)に設計変更を行った。このときには6.5cm同様、架台の材質を鋳鉄からアルミ鋳物に変更した。併せて木製三脚以外に鋼鉄製ピラーのモデルを力口えた。さらに、同架台を用いて16cm反射鏡筒を載せたモデルも作った。
五藤光學 6.5公分折光赤道儀在1973年(昭和48年)進行整體新設計,這也是當時第一次採用專業工業設計師進行設計(? 此點尚未確定) .另外材質方面也由鑄鐵改為鑄鋁合金以減低重量.
8公分折光赤道儀的設計也一併開發新架構.兩者外型非常流線,外觀共同採用同一設計,只是尺寸不同.材料也是從鑄鐵變成鋁鑄架構, 這樣新的設計也有木製三腳架和鋼鐵材質柱台.以供應16公分新反射望遠鏡使用. 老貓小翻譯.
http://yumarin7.sakura.ne.jp/telbbsp/joyfulyy.cgi*.「星・空・夢」五藤光学研究所 1926-1996 1996年発行 株式会社五藤光学研究所
〔理科教育振興法の施行と望遠鏡〕P150-
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戦後本格的に望遠鏡の生産を再開したのは1948年(昭和20年)。それから1954年(昭和29年)の理科教育振興法(理振法)の施行までの機種については、前出の機種のうちコメット号は1954年(昭和29年)以降もしばらく残っていることが判っている。ウラノス号はさらに理振法の施工後もしばらく作られていたようで、「あれは名機だった」と今でも当時を知る人が語っている。
さて新しい機種については、理振法施行の時点で以下の三機種を見出すことになる。この間に他の機種が存在したとしても明細は判らない。
6cm経緯台 学習型 口径 63mm、 焦点距離1,200㎜ 30,000円
6cm赤道儀 学習型 口径 63mm、 焦点距離1,200㎜ 30,000円
エロス号(赤道儀) 口径 63mm、 焦点距離 900㎜ 70,000円
理振法の該当製品はこれにコメット号を加えた4機種をあて、新しい基準を示された7.5㎝赤道儀を7.5cm赤道儀を開発してあてた。
此文章在探討日本二戰後的教育振興法是良法還是惡法? (理振法 良くも悪くも)....這是日本戰後為振興國民教育水準趕上歐美國家,於是1954年(昭和29年)眾議院發佈理科教育振興法,規定小學,初中和高中理科教室都要有天文望遠鏡及天象儀的採購及規格要求.而當時雖然國內有粉多天文望遠鏡的製造商.但這個法案是由國內少數廠商在把持國會議員主導規格及推動...當然主要是由五藤光學主導,於是日本國內小學到高中粉多理科教室到天文台大部分都是五藤光學的產品...當然五藤光學當時是走學校和機關路線,當然也延伸到台灣(當年小貓在圓山天文台鬼混時,五藤光學社長時常看到在台長辦公室出現內, 直到小貓到永光就職,到東京出差工作也受到五藤光學社長的招待....)....雖然五藤光學的天文望遠鏡產品品質非常好,但非常高價位!(6.5公分折光赤道儀 1976年售價140,000日幣,一般業餘天文同好是買不起.所以多以學校銷售為主.)一直到現在還是有粉多聲音質疑當時這個振興法是否正確? 老貓們了解日文及有興趣這段歷史,可以上網看看...其中有人回文就是政商勾結!(老貓再次閱讀時,此篇文章已刪除!可能是覺得有所失禮吧.) 呵呵....滿有趣的! 老貓物語.